厳格で真面目な父の元で育った私は、4人兄妹の3男坊。
男3人は年子で、末の妹だけ6歳年が離れています。

これってみえみえですよね?

何がって?

上が男、男と来たら、やはり両親は次は女の子。と期待していたようです。
でも、出てきたのがやっぱり男。(T_T) 私です。

つまり、私は生まれた時から両親の期待を裏切って生まれて来たのです(^^;)

それが証拠に、両親は女の子をあきらめきれなくて、もう1回頑張って6年後に待望の女の子を
生んでいるのです。

「僕って要らない子やったんや」子供の頃、私は本気で思っていました。

兄弟の中で私は常に微妙な立場でした。

兄2人は典型的な優等生。待望の妹は蝶よ花よと大事に育てられました。
今は娘がかわいいその気持ちがよくわかりますが、親父はとにかく妹にべったり。でれでれでした。

ところで、親父は国家公務員でしたので、転勤があります。

私が小学校2年になって、沖縄は晴れて本土に復帰しました。
(それまではアメリカに占領状態でした。つまり、厳密に言えば私はアメリカ生まれなのだ。イエ~イ)

沖縄の本土復帰と同時に親父に下ったのは本土への転勤命令。最初の赴任先は福岡でした。
もちろん私たち家族は親父について引っ越しです。

福岡で3年、SAGA佐賀で8年を過ごしました。

本土の学校ですので、私たち3兄弟はイヤでも目立ちます。何せ顔は東南アジア系。
話す言葉はウチナーなまり。知念3兄弟はたちまち有名になりました。

でも、何で有名になったかというと、上の2人は出来がいいのに・・・。って感じで有名になったのです。

先述した通り、兄2人は優等生。完全に私と比較の対象になったんですね。
特に先生は、私を叱るときにはいつも兄貴の事を引き合いに出します。
「兄貴は出来がいいのに、おまえは」みたいな事を言われる訳です。

兄2人とは比べられる。妹は溺愛される。

私は、その合間に挟まれ窒息寸前でした。コンプレックスの固まりでした。
そのためか、いつも何か問題を起こして親を困らせていました。

私は早くこの家から脱出したいと願っていました。

こうした環境で育った事で、逆に3男坊でありながら、
自立心が芽生えたのかもしれません。

そして、組織を居心地悪く感じる私が形成されたのかもしれません。